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絵の怖さ&刊行予告 [小説のこと]

絵は難しい。


9月から10月にかけて、秋川原作のcomicが二作刊行される。

   comics『いい加減な夜食2』 善内美景   アルファポリス
   comics『居酒屋ぼったくり1』  しわすだ   アルファポリス


私は基本的に、コミカライズ作品に関しては、それぞれの漫画家さんと漫画編集部さんに
丸投げで、どうぞ好きにお描きください、というスタンスを取っている。
漫画と小説は別物で、漫画に関しては漫画家さんの作品だ。
そもそも夜食にしてもぼったくりにしても漫画と小説では視点が違いすぎる。
漫画家さん達は私が思いもかけないエピソードを選んで
それはそれは面白くストーリーを作り上げてくださる。
正直『そこをそう切ったか! うぐぐぐーやられたー! きー! くやしい!!』などと
もんどり打ってばかりいるのだ。
こういう感情が沸くこと自体、自分の作品とは切り離している証拠だと思う。
あまつさえ、あまりの面白すぎて、意外すぎて、
もう最初からこの方々にオリジナルで描いてもらった方が良かったんじゃ……などと
壁を向いていじいじしまくっているのだ。

それでも原作者として名が載る以上、最終チェックを避けて通るわけにはいかない
……らしい。
やむなく、ネームやら組版やらを拝見して、ちまちまと重箱の隅つつきのような
コメントを差し上げるのだが、これも実際は、なんにもいわずにOK出してしまうと
「さては秋川、見てないな?」と思われかねないという姑息な考えによるもので
実際に『いや、そこはやっぱり……』なんて押し返されれば、
「あ、いいっすよ。言ってみただけっす」などとあっさり撤回する。
そんなこんなで刊行準備が進んでいくのであるが
今回はほんとうにコミカライズの怖さを思い知った。

とか書くと、「すわ、トラブル発生か!?」と興味津々になる方もいらっしゃるだろうが
すみません、そういうことではありませぬ。
実は、とある作品の中にワイングラスを持つシーンが出てくるのだが
このグラスの持ち方で文字と絵の違いを痛感させられたのである。

例えば、文字であれば『秋川はワングラスを持った』と書けば済むが
絵(漫画)の場合、『グラスの持ち方』自体を描かねばならない。
つまり秋川のふっとい指がグラスのどの部分にかけられ、どのように支えているか……
それを、きっちりはっきり描き出さねばならないのだ。

これは怖い……てか、大変。

一切のごまかしが利かない。

今回刊行される作品の中にもワイングラスを持つシーンが出てくる。
ネームチェックのときも、組版も、webにUPされたときすらも
うん、OK、とすんなり通したシーンだった。
それどころか、ワインに体温を伝えないように柄を持つ描写に
「すごいな、ちゃんと描いてくださってる」なんて感嘆していたのだ。
ところが、他の原稿を書くために調べ物をしているときに
そのグラスの持ち方が実は日本独自のものだと知ってしまった。
海外ではワイングラスの柄を持つことはなく
名だたるセレブ達はみんなしてグラス本体(ボトル)部分を持っている。
(いわゆるマフィアのブランデーグラス持ちですな)
そして、それこそが『正当な』ワイングラスの持ち方で
柄を持ってカンパーイなんてやるのは日本人ぐらいなものだというのだ。

いやーびっくりした。
井の中の蛙、井戸水で溺死、である。

速攻で漫画の編集担当さんに電話をして
「ど、ど、ど、どー-します?」と訴えた。
日本式と海外方式(正当派)どっちにするか
しばらく討論(実際は、ふたりして驚きまくっただけ)し
元のまま、日本式で行くことにした。
どっちを描いてもご指摘を受けかねない。
日本式で描けば、正当派を御存知の方は違和感を覚えるだろうし
正当派で描けば、日本式しか御存知ない方は首を傾げるはずだ。
それならば、ここは日本なんだし日本式でいいじゃないか……
と開き直ったわけである。
(微妙に数の原理なんて言葉がちらついた)

そんなやりとりをしながら
私はずっと「漫画怖い、漫画怖い、絵って怖い~!!」と
思い続けていた。
文章ならいくらでもごまかせる。
でも、絵はそうはいかない。
これではイラストレーターさんを始め、絵を描く方々から
いろんな問い合わせが来るのは当然である。
適当にーですませていい問題ではなかった……
これまで秋川関連の絵を描いてくださった全てのイラストレーターさん
漫画家さん、本当にごめんなさい。
以後、もっと真剣に考えてお答えいたします!

ということで、今後とも秋川は絵画分野への進出を目指すことなく
ほそぼそと曖昧な文章を書き続けることを決意する次第である。



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【刊行予告】

 誠に申し訳ありませんが、三ヶ月連続刊行となります。

   
   9月30日  『居酒屋ぼったくり6』       アルファポリス
   10月30日  『放課後の厨房男子 進路編』   幻冬舎
   11月下旬  タイトル未定(初校終了済)     S

【年内脱稿予定】

   9 月末(希望的観測) 居酒屋話 A社
   12月末(熱望的観測) 百貨店話 K社

【鬼が笑う話】

   AGKBK……のうちの四つ、できれば三つぐらい……で勘弁していただきたい(涙)


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 以上、秋川の現状、及びブログがまともに更新されない訳(=キャパオーバー)でした!

 とっぴんぱらりのぷう。





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書くことの勧め [日常]

書くことしかできなかった。

彼はひどく落ち着かない家庭に育った。
詳細は省くが、とにかく落ち着かない、子どもが安らげない家庭だ。
学校にいる時間だけが、彼にとって安らぎだった。
長い休みが来ると、うんざりを通り越して絶望に近い感情を抱いた。
そしてある日、学校すら安らぎの場ではなくなった。
全身から滲み出る卑屈さ故か、はたまたただの偶然か……
彼に対するいじめが始まったのだ。
それでも彼は学校に行くことをやめなかった。
なぜなら学校には授業があり、その間だけは自分の世界に居られたから。

当時はまだ教師と生徒の力関係ははっきりしていて
教師の前で明確ないじめをおこなう生徒はいなかった。
だから彼は授業中、ひたすらノートに想いを綴った。
最初は誰かへの恨み辛みだった。
こんなことを言われた、こんなことをされた、
辛い、悲しい、悔しい……そしてなぜ。
学校の中、あるいは外の世界、自分を取り囲む理不尽に対し
ただひたすらに書き殴った。
最初は短い文章だったものが、日を追うごとに長くなり
やがて物語へと変化していった。
彼はノートの中に新たな世界を構築した。

物語の中ではなんにでもなれる。
いじめの加害者を悪役に見立て、徹底的にやり込める。
こうであってほしいと願う主人公に自分を投影して大活躍させる。
すべて筆一本、書いたもの勝ちの世界だ。
誰かに見せるつもりもなく、見せられるわけもなく……
そうやって彼は幾十、幾百もの物語を紡いだ。
逃げ場はノートの中にあった。
ノートの中にしかなかった。
だから彼は書き続けた。
来る日も、来る日も、授業中も、休み時間もただひたすら書き殴った。
鉛筆を握れない状況の時は頭の中で物語を考え続けた。
とりたてて書きたいことがあったわけじゃない
それでも書き続けたのは、そうすることでしか
現実から逃れる方法がなかったからだ。

学業を終えたあとも、いろいろなことが起こった。
徐々に徐々に幸せが占める割合が増えていったけれど
それでも過去から伸びる手が根絶できたわけでない。
日々が幸福に満たされれば満たされるほど
思い出したように伸びてくる手の黒さが増した。
彼はその全てを書くことによって昇華していった。
ノートと鉛筆がワープロの時代を経てパソコンへと変わっても
彼の生活から『書くこと』が消えることはなかった。

そして彼は物書きになった。
ご想像どおり、私である。
良い人ばっかりしか出てこない、ご都合主義で軽くて呑気な物語は
幾百、幾千もの呪いの言葉のあと、ようやく作り上げた場所である。
現実にはあり得ないとわかっていても
こんな世界に生まれたかったという憧れの場所。
それを我が手で描くことで私は今日を長らえている。
あの暗かった時代、こんな風に世界を作る術を磨かなかったら
秋川滝美はこの世にいなかったのかもしれない。

学校以外は辛い場所だった。
学校すらも辛い場所だった時期もある。
それでもなんとか生きてきた。
その手段が書くことだった。

夏休み明けは子どもの自殺が急増する時期である――
ここ二、三日そんな報道が目に付く。
学校に行かなければならない
それがあまりにも辛くて、苦しくて死を選んでしまうのだと……
新聞には主にいじめに起因する子どもの場合が書かれていたが
それ以外の理由で学校に行きたくない子どもだっているだろう。
大人にだって辛いことがたくさんある。
子どもほど心が繊細じゃないにしても辛いと感じることはたくさんある。

辛いと感じたとき、やりきれなくて、生きているのが嫌になったとき
どうか、その想いを綴ってみてほしい。
巧拙なんて関係ない。
あいつキライ、だけでもいい、とにかく文字にしてみて欲しい。
文字の連なりは言葉を作り、いつか文章となる。
書くことで整理され、昇華されていく想いはきっとある。
五年、十年、十五年と生きていくうちには様々なことに出会う。
文章を書くことに抵抗がなければ、そんな出来事を文字に映すことができる。
もう一歩も歩けない、進めないと思っていても
いつの間にか高い山に登ってしまっている自分に気付ける日が来るかもしれない。

ただ、それにあたって、ひとつだけ心に留めて置いて欲しいことがある。
もしも、もしも物語が生まれそうになったときは
どうか投げ出さず、最後まで書いて欲しい。
想いなら書き殴りでもいい。
でも物語を作り始めたら、登場人物を投げ出さないでほしい。
冒険であれ、恋であれ、人生であれ、とにかくどこかに辿りつくように
きちんとEndマークを打ってやってほしい。
道に迷っているあなたなら、どこにも辿り着かない辛さがわかるはずだ。
登場人物にそんな想いを強いてはいけない。
それはその世界を作った者の責任だ。
そして何よりも、もしかたら、ひとつの世界を作り、それを閉じた瞬間
生きている意味がうっすら見えるかもしれないから……



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